主張?:コピー本の精神 を読んで
主張?:コピー本の精神(無重力実験とアニメについて)を読んで。
同人誌には2種類あります。オフセット印刷とコピー本です。
「オフセット印刷」というのは印刷所に発注して製作した、まあ「きれいな本」のことです。普通の本屋さんで商業的に販売されているソフトカバーのような本をオフセット印刷といいます。
それに対して「コピー本」というのはその名前のとおり、もともとはコンビニのコピー機でコピーした紙を折ってホチキスで綴じた本のこと、もうちょっと一般化して「紙をホチキスで綴じて作った簡素な本」のことをコピー本といいます。まあ、紙をホチキスで綴じた簡単な感じの本をコピー本といって(繰り返しか…)、しっかりした本をオフセ本というのですよ。
(中略)
それで、コミケとか、同人誌の中ではオフセット印刷はコピー本よりも格上だと認識されているんですよ。けれども、私がこの前コミケで買った本はほとんどがコピー本なので、コピー本のファンとして今回こうしてコピー本擁護論を書こうと思ったわけです。
そもそもコピー本は本じゃないだろう?って思いました。率直な感想。
本じゃないといったら反感を買うかも知れないけれど、自転車をして車だと言い張るようなもの(いや、実際“車両”ですけど…)。そもそも同じ土俵に立っていないと思うのですよ。
価値がないわけじゃない。けれど「自転車でも車に勝てるんだぞ!」ということをいくら言っても大した意味はないのではないか。
コミケとか、同人誌の中ではオフセット印刷はコピー本よりも格上だと認識されているんですよ。
中谷氏ははこの認識について一般論しか述べられてないので、ご本人がどう思っているかはわかりません。私はオフセット本はコピー本より格が上だと思います。理由は先述の通り。コピー本は本と言えば本だけど、冊子に近いと思ってます。
本としての物理的形態のレベルが低いことは、表現内容のレベルの低さとは一致しないと私は言いたいです。というか、それが表現行動の基本ではないかとすら思います。
確かに、ダメなオフセット本も、素晴らしいコピー本もあるのでしょう。中谷氏の述べる通りです。でもそれはコピー本を評価するものではないなと思う。オフセット本を作っている人たちにしてみれば、自分たちの伝えたいことのためにお金の遣り繰りからスケジュールまでコピー本にはない苦労があって出来上がった本なのですよ。「コピー本でもいいじゃないのさ」の一言で片付けられたらきっと傷つくんじゃないのか。私は中身は同じでも媒体によって付加される重みというのは存在していると思います。表現の一部としてですね。
中谷氏は内容のみを見ているようだけれど、私はコピー本であっても作りを見るのでそう思います。伝わる努力をすることもまた基本です。製本したというだけでも、十分にその価値はあるはずではなかったでしょうか。
以上、氏には思いがけぬ的外れな批判だったかもしれないと思いつつ。ありがとうございました。
好きか嫌いかと言う意味で言えば私はマイナーな世界が好きな方です。巨大なソフトウェアよりも、ユーザーの声が届くようなフリーウェア・シェアウェアの方が好き、とか。
ここまで読んでくださった方にこういうのも何ですが、私はコミケに行ったことも同人誌を買ったこともありません。あるとすれば、せいぜい大学の学校祭にでかけて冊子を買ったり、コミケで販売をされている絵師さんの日記を読んだことがある程度で。
投稿者 | CASPAR003 |
投稿時刻 | 00:14 |
カテゴリー | 他所の支援と批判 |
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