靖国問題と内政干渉
東京で停電らしいですねぇ。お盆休み、ビデオサーバーに予約をして帰省された方も多いでしょうに、一体何台のPCが強制終了に追い込まれたのか、心配です。HDDだけでも生きていると良いのですが。
さて、久々にまじめな話をば、してみたいと思います。いえ、いつもが不真面目だというコトは決してありませんけれど。
小泉首相は靖国神社を参拝しそうな感じですよねぇ。私は「やめとけばいいのに…」
と思って、というかはっきり「やめて欲しい」
と思って見ています。どうしても参拝したいと言う人の気持ちって未だによくわかりません。
で、世界各国(特に声がでかい国が2つほどあるようですが)から抗議の声が上がっている靖国参拝問題に「内政干渉だ」
との反発する人も多いようです。でもこれって変だと思うんですよねぇ。思いませんか?
以前、私がTB論とか、コメント論を主張したときにも似たようなことを感じたんです。反論を下さった方々に対して。しっかりした反論を下さる方もいらっしゃる。判断保留を明言してくださる方もいらっしゃる。しかし多くの反対派の論点は「使う人の自由ではないか」
という点でした。
私は「使う人の自由」を叫ぶ方々にはこういいたいのです。「んなことはわかってる」
と。決定権があるかないかと発言権があるかないかはまったく別の問題です。私の決めることではない、しかし、一言もの申したい。ということはあって良いと思うんですね。それが本当の自由だと思う。
決める人には反対を押し切る権利がある。これは事実。だけどその権利を武器に反対派を黙らせるのはおかしい。
そろそろ靖国問題に話を戻します。確かに、靖国神社に首相が参拝しようがなかろうが、そんなことは日本国内の問題です。外国が決めて良いコトじゃない。「内政干渉」の主張は正しい。正しいけど、だからなんだというのですか。
「決定権は日本にある」(もっと言えば首相にあるんですが)んなことはみんな知っています。しかし決定権があることは、参拝を肯定する根拠にはなりません。「内政干渉」との主張は、何故参拝するのかという肝心の話題には一切触れていないのです。
内政干渉を主張している人は参拝賛成ではなく判断保留の立場。保留派と反対派の言い合いをあたかも賛成と反対のように扱うこと、それが私の感じている違和感。
投稿者 | CASPAR003 |
投稿時刻 | 13:05 |
カテゴリー | 主張 |
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記事へのリンク | http://www.caspar003.info/delta/archive/2006/08/14/1305.html |
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- 投稿者
- のびぃ太
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