インターネットで見た広い世界
と言うのもネットが普及して、それ以前なら知りえなかった「世間のレベル」というのがとても上がったと思うのです。昔なら毎月10冊以上まんがを買って本棚がぎゅうぎゅうになっていたら、「こんなにまんがを集めた自分はひょっとしてものすごい『通』ではなかろうか」と自己満足で悦に浸ることもできたと思うのですよ。でもちょっとネットを見て回れば、僕程度にまんがを集めている人なんてざらにいるし、どれだけ博識なんだっていうほどまんがに精通した人もたくさんいます。
これはまんがに限らず、どの分野でもそうです。ネットを見回れば頭がおかしいと思えるほど分野に取りつかれた人はいくらでもいる。で、僕の場合、そういう人を見るとすごく悔しくなるのです。自分の関心領域に触れる人で、明らかに自分より物事をよく知っている人を見ると、何とかしてその人に勝ちたくて仕方ない。だから今の僕にとってまんが集めは義務というか仕事というか、そういう扱いになった。そうすることが当たり前になってしまった。
楠木坂コーヒーハウス 2009-09-25 の記事より。
あるなぁこういうの。自分が普段暮らしている学校とか地域とかの世間と、ネットの交友関係、ネットで見聞きするものにおける世間のレベルが違いすぎて、ギャップに苦しむことが。
このサイトを始めたときは結構偉そうにいろいろ書いていた気がしますが、最近はあんまり鋭い記事を書いていないのもそのせいなんじゃないかな。ネットでの交友関係が広がるうちにいつの間にか、僕のようなレベルでは何も語れない、みたいな気分になってしまっていることがあると思う。
逆に「あれがわからない」「これを勉強中」みたいなことを言いだしたりとか、ネットに向上心を刺激された良い面もありますが、上を目指しすぎるせいで今の状態をストレートに発信できなくなっている気はする。
学校・地域での常識の範囲から見れば、十分すぎるほどに特化している分野を持っているにもかかわらず、それに自信を持ったり、ささやかな幸せを感じて生きていることが難しくなったと感じます。
漠然と感じていた不安感の原因を一つ見つけたようなそんな気がしました。
投稿者 | CASPAR003 |
投稿時刻 | 21:44 |
カテゴリー | 雑記 |
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記事へのリンク | http://www.caspar003.info/delta/archive/2009/10/05/2144.html |
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