3月9日の日記
FEMのメッシュを作っていて、どうしても美しく分割できない部分がとても不満。まずは解くことが大事なので、美しかろうが醜かろうが空間を充填できてさえいれば大きく間違わないのがFEMの利点と自分に言い聞かせて無理やり切っていく。
FEMのメッシュを作っていて、どうしても美しく分割できない部分がとても不満。まずは解くことが大事なので、美しかろうが醜かろうが空間を充填できてさえいれば大きく間違わないのがFEMの利点と自分に言い聞かせて無理やり切っていく。
パソコンがハングアップからの再起動を頻発していて動作が怪しい。やめて。
心理的安全性が結局のところ安全管理なのだとすると、KY活動とかが有効だったりする?
心理的安全性の高い職場がいいなぁと求める側の立場で言うのは簡単だけれど、心理的に安全なチームを作るとはどういうことだろうか。
心理的安全性を求めるとき、私たちは、チームのメンバーが私の発言を真剣に聞くことや、真摯に反応してくれることを求めている。メンバーの誰かが、私の話を真剣に聞いていなかったとしたら。私の発言を真摯に受け止めなかったとしたら。その空間は、私にとって心理的に安全ではないだろう。
かくして、私の話を真剣に聞くことを求めたいのだが、はたして私自身はほかのメンバーに対してそういう態度をとれるだろうか?疲れていて、メンバーの話を真剣に聞いていないことはないだろうか。他の仕事で忙しくて、そっけない返事しか返せないことはないだろうか。私たちはメンバーの心理的安全性を害してはいないか。
かくして心理的安全性の確保に、疲れているとか、忙しいという言い訳は通用しない。疲れていようと急いでいようと、勝手に手順を省略してはならないという意味で、心理的安全性というのは、ルールと習慣を軸とした安全管理の話なのだ。
忙しかったり、風邪をひいていたりして、日課の運動をかなりの期間サボっていた。そうしたら、体が全然動かなくなってしまってラジオ体操をするだけで体を痛める体たらく。
通勤で結構歩くので脚は比較的元気だが、デスクワーク主体なので上半身はひどい。現状、慣れない動きは殆どできないので、ちょっと慣れない動きをしただけで全身湿布だらけになりかねない。
姿勢が悪いと肩や腰が痛くなるように、思考においても気が散りやすいといった癖を持っていると失敗のもとである。
癖があっても、日常生活で困りごとが出るまでは、それが悪いことだとは気が付かないものである。痛みや違和感を覚えるから気が付くのだ。そして、それは自然に治るものではない。意識的に癖を正さなければ怪我や失敗といった結果を招くことになる。
だが、怪我を負ったところで、体に鞭打って癖を正そうとしても上手くはいかない。それは怪我の治りを遅らせたり、やり方が悪ければ致命傷を負うかもしれない。治すときはやはり安静が肝心だ。
身体的な活動であれ、精神的な活動であれ、原則は変わらない。健康に日常を過ごす間に悪癖を正すことである。
ChatGPTにお悩み相談してたら、突然「あー、わかった。君の悩みの原因はこれ。まずはこういう対策から始めてみような?」と核心を突いたことを喋りだして、ちょっとショックを受けている。きみ優秀やな…。
さっきまで「一般論としては、こういう文献が参考になりそうです」みたいな無難な受け答えしてたじゃん。そこから急に核心を全力で突いてくれて、ありがたいやら恐ろしいやら。
会社の人事評価と、法律の労働時間規制がそもそもかみ合ってないんだよ。一方から成果を出せ、もう一方から休みを取れ、という矛盾した指示を労働者に与えたら壊れるに決まってるだろ。
ひとまず生存報告をかねて、本年もよろしくお願いいたします。昨年も特に後半にかけていろいろなことが停滞していましたが、本年はもう少しまとまった時間を取りたい次第。