対話の好み
「人が趣味の話をするのを聞くのは楽しいか?」と聞かれたら私は楽しいと思います。むしろ語ってこそ趣味じゃないかとすら思う方で。
一般には、楽しみは共有した方が良いとされているようです。同じような知識を持った人たちで寄り集まってあーだこーだ喋るのが楽しいっていうような。ただ話題を共有しているだけのおしゃべり状態。
私は人と会話していると「うん、それで?それについて君はどう思ってるの?」と、相手の言に不足を感じることが多いのですが、きっと相手にとっては私が「うん。」とか「そう。」とか相づちを打った瞬間に会話が成立しちゃっているのでしょうね。
会話の中に情報の発信と受信という構図を求めちゃう人間としては、どうも話が合いません。私は、「話す」よりは「語る」に近い会話を好みます。
自分の知っていることを相手が喋っていてもあまり価値がない。だから、自分の知らないことを会話から得ようとするし、相手の知らないことを喋ろうとする。そうしてると時々話がかみ合わなくなるんですよね。相手は「そんなのわかんねぇよ」みたいな顔をして聞いてる。私は「そんなの知ってるよ」みないな顔をして相手の話を聞く。
こういうお互いに「語る」ような会話を好む人たちって、研究者なんかも含めた広義の「おたく」っぽい人たちに多い気がするんですよ。相手の趣味の世界に無関心ではなく、対等な知識を得るにも至らず、適度な関心を持って話に聞き入るのが楽しめる人間でないと或いはおたくとしてやっていけないのかもしれません。
投稿者 | CASPAR003 |
投稿時刻 | 23:55 |
カテゴリー | 雑記 |
コメント | 0 件 |
トラックバック | 0 件 |
記事へのリンク | https://www.caspar003.info/delta/archive/2006/01/26/2355.html |
コメント
- 投稿者
トラックバック
- トラックバック