メールアドレスを公開すること
無重力さんのネットの危険性を読んでちょっと昔のことを思い出したので。
昔、とあるサイトの管理人さんと連絡を取ろうとしてサイト内をくまなく探したのですけれど、メールアドレスがどこにも記載されていませんでして。掲示板が設置してあったので、仕方なく掲示板に私信を書き込んだことがあります。
そのとき「メールアドレスが見あたらなかったので、私信失礼します。」
と書いておいたのですね。そうしたら管理人さんからレスが付きまして「ごめんなさい。私がチキンなのでメールアドレスは公開していないんですよ。」
と仰る。正直私には意味がサッパリでしたね。この人は何を恐れているのかと。
私は1999年頃からネットを始めた人なので、原住民を名告るのは恐れ多いことながら、ITバブル以降の参入者よりは原住民思想に近い感覚の持ち主だと思います。メールアドレスはオンラインコミュニケーションの基本でしょうって思うのです。まるで名刺でも差し出すかのごとくアドレス交換をした時代を過ごした人間にとってはやたらとアドレスを隠したがる人の気持ちがよくわからないのですね。
携帯メールに慣れた人ってメールアドレスは今付き合いのある人同士しか知らないっていう考え方があるじゃないですか。アドレスをすぐに変えるから、1年前から音沙汰無い人とはもう連絡付かないような文化が一つそこにある。私のようにメールを介して人と知り合うとか、懐かしい友人と会話を交わすとかいう文化圏の人間から見るとなんだかとても気持ち悪いというか、学校で偶然仲良くなった人に「そういえばまだ名前聞いてなかったけど、なんて呼んだらいい?」って聞いたら、なんで「名前教えなきゃいかんの?」って返されるような、冷たくて嫌ぁーな感じがするものです。これも文化の衝突の1つだよなーと思いつつ。
メールって怖いんですか?
MiniDiary
センター自己採点
自己採点の結果は686点。まぁ死にかけみたいな体調での点数にしてはいい方かな…。
投稿者 | CASPAR003 |
投稿時刻 | 21:01 |
カテゴリー | 雑記 |
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