文章の形式をもっと厳密に指導せよ
別の場所で使おうと思って書いた文章なのだけれど、せっかくだからブログのネタにしておく。久々の主張カテゴリー。
文章を段落というブロックの積み上げとしてとらえる考え方自体は、それほど難しいこととは思わないが、筆者の周りだけでもそれができていないひとを結構見かける。段落の頭は字下げする。段落中は改行(HTML的に言うと <br> のことね)しない。などの原則を守れない。
パソコンで文章を作らせると右端が不揃いな文章が目立つ。きりのいいところで改行しようとか、1文毎に改行しようとかいう変な思惑を持っている人は案外多い。小学校の作文で習うと思うんだけどな…、文の書き方は。などと思い起こしてみたら、そういえば小学校時代も原稿用紙の下端が不揃いな作文を目にしたのを思い出す。十分な分量を書けなかった人の行数稼ぎである。
小細工をしてまで枚数稼いでもしょうがないと思うのだけれど、大抵の課題は「原稿用紙○枚」などと指定されて、足りない場合は大幅に減点されるから、枚数稼ぎに走ったとしても無理はない。というか、私の小学校時代はたまたま切羽詰まった状況に陥らなかったからそうしてこなかっただけで、もし本気で知恵を絞って必死で水増ししてまだ分量が足りないとなったら私も改行を増やして誤魔化したりしたと思う。
これは教師の側に問題がある。課題の量に満たない文章に満点は付けられないのは理解できる。しかし小細工して増やした文章は受け取るクセに、普通に書いて足りなかったら受け取らないというのはおかしい。誰だって水増しに必死になるに決まっている。むしろそうした水増し工作こそ大幅に減点すべきであり、同じ文字数、同じ内容なら水増しされたものよりも、枚数は足ないが体裁が取れている方をより高く評価する。と公言して指導すべきだと思う。
無論、体裁も評価の対象であろうが、考えても文章が浮かばず居残って作文している人をおいてさっさ水増し作文で帰ってしまう人がいたことには今でも納得がいかない。
書道の時間ともなれば、左利きの人も右手で字を書かされた。その理由は言うまでもないが、文章の書き方とて同じだと思う。まずは型を正さないと中身は生まれないのではないか。文章を構造的に組み立てることを習得するためには、どこでも好き勝手に改行をいれたり、段落の概念がなかったりしていてはだめだ。絶対ではない。が、少なくとも学校ではそのように指導すべきだと思う。
投稿者 | CASPAR003 |
投稿時刻 | 22:14 |
カテゴリー | 主張 |
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記事へのリンク | https://www.caspar003.info/delta/archive/2007/04/15/2214.html |
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