宗教的習慣から学ぶ
宗教上の都合を日頃行使しまくってるわたくし、CASPAR003でありますけれども、いわゆる死後の世界とか、救いとか、神様とかいう方面では特にこれという宗教は持っていません。
その世界観みたいなところの話はとりあえず置いておくとして、たまにうちに布教活動に来る人とか、宗教の集会とかに参加している友達とかを見ていると、学ぶべきことはあるなと思います。
特に宗教的な行事とか習慣って大事だと思う。集会場に集まってお祈りするとか、特定のポーズをとるとか、何らかの言葉を唱えるとか、うたを唄うとか。
大抵の宗教ってのは“人としての善い生き方”を説いている。けど、ただ善く生きましょうでは一向に善くならないから、善いとは何かとか、それを守るとなぜ善いのかみたいな説明として神様だったり救いだったりが出てくるんじゃないかと思うんですよね。で、その教えのように在りたいと思うことが宗教を持つということでしょう。
でもやっぱり人間ですから、俺は「善い生き方をするんだ」とかたく心に誓ったもそうできないことも多くて「明日から頑張ろう」みたいになってしまうもんなんでしょうね。そうやって、教えを守りたくてもなかなか続かず悩む人を導くための手段として、宗教的な習慣ってのがあるんだろうと、そう思うわけです。
ダイエット続かないんですけどどうしましょう?「毎日体重を記録してグラフにしてみなさい。」ってのと似たようなものな訳ですよ。
宗教の習慣ってのは数千年にわたってそういった知恵が蓄積されているわけで、自分を律していく方法として参考にしたいなと思います。
集会に参加するとかはその宗教に入信しないと難しいけど、神社だったら一人で行ってお賽銭してくるくらい全然OKだし、それも宗教臭くて嫌なら、何か自分が死ぬまで続けたいと思う壮大なプロジェクトについての意気込みを毎日声に出して言ってみるとかでも良いかもしれない。
投稿者 | CASPAR003 |
投稿時刻 | 21:12 |
カテゴリー | 雑記 |
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記事へのリンク | http://www.caspar003.info/delta/archive/2008/02/23/2112.html |
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